皆さん、こんにちは!
今回の記事では日本の大富豪、本多静六(ほんだせいろく)さんが書いた「私の財産告白」より貯金法とマインドセットについて紹介します!
誰それ?
聞いたこともない名前だな!
確かに、歴史の教科書とかには出てこないから有名人ではないかも!
でも、大学教授をやりながら、日比谷公園の設計や明治神宮の造林をしたんだよ。
そして、1代で莫大な富を築いたんだから、間違いなくすごい人だよ!
聞いた感じ、昔の人なのかな?
当時と今じゃ時代も違うし、参考になるの?
それは大丈夫!
本多さんの考え方は、今の時代でも間違いなく通用するよ!
・早くお金を貯めたい人
・効果的な貯金方法について知りたい人
・貯金をする上での心構えについて知りたい人
まずは、本多静六さんってどんな人なのかをざっくり紹介するね!
◆本多静六さんってどんな人!?
本多さんってどんな人か結論から書くと、「努力と根性で成功を掴んだ人」ということができます。
本多さんは1866年に埼玉県で生まれました。
11歳で父親を亡くし、貧乏な子ども時代を送ります。
しかし、努力の末に東京山林学校に入学しました。
東京山林学校って?
優秀な学校で、東大レベルの高等教育機関だったんだよ!
一度は落第するも猛勉強して主席で卒業。
その後、ドイツのミュンヘン大学に留学し、国家経済博士号を取得しました。
そして、帰国後に東京農科大学(現東大農学部)の助教授になりました。
研究生活の傍ら、日比谷公園の設計や明治神宮の造林といった業績を残します。
本多さんは、「日本の公園の父」と呼ばれているそうです!
そんな本多さんは「1/4天引き貯金法」という独自の蓄財法で莫大な富を築くことに成功します。
※「1/4天引き貯金法」については、後で詳しく説明します。
60歳のころには、貯金や株式はもちろんのこと、田畑や山林(約100㎢)、
別荘地住宅6か所の不動産も保有していたそうです!
お金や名誉を手に入れ順風満帆の人生を送る本多さん。
しかし、大富豪になった本多さんを悲劇が襲います。
日本は太平洋戦争に敗戦。
本多さんは、財産のほとんどを失ってしまったのです。
そこで、本多さんは芋がゆと野菜の漬物で耐え忍ぶ生活を送ります。
その甲斐もあって、5年程で人に寄付ができるほどまで経済状況は回復。
見事に復活されています。
そして、1952年に85歳で生涯を終えたのでした。
ざっと本多さんの一生を見てきましたがどうでしたか?
本多さんは、成功のためにハードワークできます。
そして、何度ダウンしても立ち上がります。
正に「努力と根性の人」です!
そんな本多さんから資産形成法やマインドセットについて学ぼう!
早速、この本に興味が出たという人のためにリンクも貼っておくね!
本多さんが行っていた貯金法とは?
本多さんは1/4天引き貯金法という方法で資産を増やしています。
具体的に何をするの?
月収の1/4を貯金して、ボーナス等臨時収入は全てを貯金!
ス、ストイックだ、、、
この貯金法を実践したらどのくらい貯金できるのでしょう?
ただでさえ高い貯金率に加え、ボーナス全額貯金でブーストをかけてます。
そのおかげで上の例では年収300万円のうち40%を貯金することになります。
1/4って言っておきながら実際はそれ以上の貯蓄率になるんだね!
本多さんは25歳ごろからこの貯金法を始め、40歳ごろには一財産を築いたのでした。
15年程度で財産を築けた秘訣は、「驚異的な貯蓄率」にあったのです。
どんな思いで貯金していたのだろう?
ここまで読んだ方の中には、
そんなに貯金ばっかりして楽しいの?
何でそんなに貯金できたの?
何事にもケチケチしてたんだろうな、、、
こんな思いを持たれた方がいると思います。
・本多さんは何故そんなに貯金を頑張れたのか
・貯金していて辛くなかったのか
以上2点について紹介します!
何故収入の1/4も貯金できたの?
ところで、本多さんは何故そんなに頑張って貯金できたのでしょう?
私が考える理由は3つです。
・子どものころの原体験があったから。
・ドイツで運命の出会いがあったから。
・前向きに考えることができたから。
じゃあ、解説に進むね!
子どものころの原体験と運命の出会い
本多さんは子どものころ、とても貧乏で多くの苦痛と屈辱を味わいました。
その経験から「経済的に独立しないと本当の意味で独立はできない」と考えるようになりました。
子どものころの体験って良くも悪くも強烈よね!
そうだね、子どものころの貧乏体験が貯金することへの強いモチベーションになっただろうね!
そんな本多さんの考えをより確固たるものにする出会いが訪れます。
本多さんは、ドイツ留学の際にブレンターノ博士に出会い、指導を受けたのです。
そして、帰国するにあたり、博士からこんなことを教わります。
以下、引用です。
お前もよく勉強するが、いままでのような貧乏生活をつづけていては仕方がない。
いかに学者でもまず優に独立生活ができるだけの財産をこしらえなければ駄目だ。
そうしなければ常に金のために自由を制せられ、心にもない屈従を強いられることになる。
学者の権威も何もあったものではない。
帰朝したら、その辺のことから是非しっかり努力してかかることだよ。「私の財産告白」 p23より引用
「お金がないと自由を制せられ、心にもない屈従を強いられる」
これは残酷な真実だよね、、、
お金がないと、働くしかないもんね。
逆にお金があれば働かなくてもOKという選択肢が持てるよね。
子どもの頃の原体験と恩師との出会い。
これらは、本多さんが貯金を頑張る原動力になったことは間違いないでしょう!
前向きに考えて行動!
本多さんが圧倒的に貯金できた理由として「前向きに考えたこと」も欠かせません。
ブレンターノ博士の教えを胸に帰国し、25歳で大学助教授になった本多さん。
我々一般人からすると、
勝ち組じゃん!
人生イージーモードじゃん!
と言いたくなるところです。
でも、本多さんを取り巻く状況は厳しいものでした。
大学助教授になったと噂を聞きつけ、家に居候する人が増えたのです。
気づくと、家では9人が暮らす状況に、、、
お金を持ってると、たかる人が来るのは、今も昔も同じなんだね、、、
このままではいつまでも貧乏から抜け出せません。
人間、上手くいかないと、
こんなに働いてるのに貧乏のままじゃん!
酒でも飲み行くか!
お前みたいなのが家にいるから貧乏なんだよ!
ふざけんな!
といった感じで、ついつい人のせいにしたくなるものです。
でも、本多さんはそうではなく、前向きに考えて行動しました。
以下、引用です。
貧乏を征服するには、まず貧乏をこちらから進んでやっつけなければならぬと考えた。
貧乏に強いられてやむを得ず生活をつめるのではなく、自発的、積極的に勤倹貯蓄につとめて、逆に貧乏を圧倒するのでなければならぬと考えた。「私の財産告白」 p18より引用
「仕方ないな」と思いながら貯金するのと、「貧乏を倒しに行く」と思いながら貯金する。
両者の差は大きいよね!
本多さんは「貧乏を倒しに行くんだ」という前向きな思いで貯金を始めました。
そうして生まれたのが1/4天引き貯金法だったのです。
これがきっかけとなり、本多さんは大富豪への階段を登り始めます。
「前向きに考えて行動したこと」が、本多さんが圧倒的に貯金できた理由の3つ目です。
そんなに貯金して辛くなかったのか?
ここまで読んだ人の中には、
確かに貯金が大切なのは分かるけど、そんなに貯金してきつくなかったの?
家族とかから反対されなかったの?
といった疑問がわいた人がいることでしょう。
結論から書くと、
「はじめは辛かった!でも、だんだん楽になった。」
となります。
では、解説に進みましょう!
1/4天引き貯金は後々生活が楽になる仕組み!
大学助教授になった当時、家に居候を含め9人がいて苦しい状況だったのは先ほど解説した通りです。
それにも関わらず本多さんは収入の1/4を貯金することにしました。
当時の心境を本多さんはこのように語っています。
苦しい上にも更に苦しさを求めたのだから、初めの生活は全くお話にならぬ苦しさであった。
「私の財産告白」p21より
月末になると家計が苦しくなり、ゴマ塩ばかりで食事を済ませていたとのこと。
大人はまだ良いですが、子どもたちは「またゴマ塩?」と泣き顔を見せる有様でした。
もうやめて!
子どもがかわいそうだよ!
と言いたくなるところですが、本多さんはこれを「つまらぬ感情の問題」と一刀両断しています。
何故なら、「1/4天引き貯金法は段々生活が楽になる仕組み」だからです!
下に表を作ったので、見てみましょう!
月収が1.5倍になれば手元に残るお金も1.5倍になるんだね!
貯金額も1.5倍になって資産が増えるスピードも年々上がっていくね!
これなら、最初だけ乗り切れば楽しくなってきそう!
本多さんは貯金生活の最初が一番辛くなることが分かっていたので、妻にこのように説明をしました。
今の苦しさは、苦しいのを逃れるための苦しさだから、しばらく我慢してくれと家内の者を説いたのである。
「私の財産告白」 p22
この苦しさは今だけで、段々楽になると分かっていれば家族の協力も得やすいね!
このように、1/4天引き貯金は、未来の生活も現在の生活も楽になっていくシステムなのです!
見栄を捨てて、あえて生活レベルを下げよう!
ここからは、貯金を続けるためのマインドセットについて学ぼう!
本多さんは貯金を続ける上でどんなことを心がけていたのでしょう?
結論から書くと、
「虚栄心を捨てる」です。
以下、引用となります。
自分の値打ちが銀もしくは銅しかないのに、暮らしのほうは金にしたい。
金メッキでもいいから金に見せかけたい。
こういった虚栄心から多くの人が節倹できないのである。
銀はどうせ銀、銀なりに暮らせば良いのであるが、さらに人生をより安全にし、生活をより健全にしようとするならば、むしろ一歩を退いて ー事実は一歩を進めてー 実力以下の銅なり、鉄なりの生活から出発していくべきだろうではないか。「私の財産告白」 p27より引用
「見栄を張らずにあえて生活レベルを下げよう!」ということだね!
見栄を張らないのは大切だと分かるんだけどさ、、、
何であえて生活レベルを下げるのさ?
どんな状況でも生き残るためだよ!
生活レベルを下げるメリットは2つあります。
・貯金に回せる金額が増やせる。
・世の中が不景気になっても破産する可能性が低くなる。
1つ目のメリットについてです。
生活レベルを下げれば支出が減り、それだけ貯金に回せる金額が増やせるということです。
2つ目のメリットについてです。
本多さんは初めに紹介した通り、太平洋戦争敗戦の影響で財産のほとんどを失っています。
しかし、長い間、貯金生活をしていたおかげで低い生活レベルで暮らすことに慣れていました。
だから、太平洋戦争敗戦直後の混乱の時代でも破産せず生き残ることができたと思われます。
ずっと豪華な生活してきた人が、いきなり倹約生活になったらキツイよね!
ずっと倹約生活してたから、財産のほとんどを失っても再び立ち上がることができたんだね!
虚栄心を捨てることで、貯金額を増やすことができます。
それに加えて、「どんな状況でも生き残るたくましさ」を手に入れることができるのです!
今日のまとめ!
結構長かったから、まとめてよ!
そうだね!
以下が今日のまとめです!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日紹介した部分は「私の財産告白」の最初の1/3くらいで、
投資のことやお金の使い方についても紹介されています。
リンクを貼っておくから、興味のある方は是非読んでみてね!
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